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伊副神社

現在、式内伊副(いふ・いふき)神社の遺存とされる神社は存しない。

従来、名前の近似する村名をもって鎮座地にあてていて、諸説が多い。

鎮座地として有力なのは、「郡家」の南方で、「郡家」は、熱田の神戸町もしくは、金山橋付近とされていて、確定されていない。

この式内伊副神社を奉斎する氏族は愛智郡日下郷伊福に居住した「伊福部(イブキ)氏」と推定されていて、伊福部氏は尾張氏と同族関係にあり、近江と美濃の国境にそそり立つ伊吹山の周辺に居住し、美濃国を本拠に勢力をはっていたが、同時に尾張国でも勢力を保持していたと考えられている。

尾張国の海部郡に伊福郷があり、そこには伊福部氏が奉斎する伊福部神社がある。

ということで、現在は「あま市」に鎮座する伊福部神社を参拝することにした。

<海部郡の伊福部神社の参拝記>



2010年12月12日、谷川健一著「青銅の神の足跡」で旧海部郡七宝町、現在は、「あま市」七宝町に鍛冶氏族の伊福部氏が創建したという「伊福部神社」があるということで、名鉄の七宝駅から南へ蟹江まで、海部郡に点在する「八剣神社」なども訪ねて歩いた。

この日は天気に恵まれ、爽やかな散歩を楽しむことができた。

七宝駅の西側から南へ国道139号が延び、それに沿った裏道などにも入って、南下する。

七宝町宮西の八幡神社や、八剣神社、七宝神社、神明社などに寄りながら、伊福部神社へ向かう。

国道139号をさらに南へ歩くと行くと、道路沿いの細長い森の中に「伊福部神社」がある。

所在は、愛知県あま市七宝町伊福宮東64。


掲げられていた由緒書によると、祭神は、伊福部の連が敬愛する神様である「日本武尊」。


細長い参道を進むと、社殿の前に、石造りの透かし塀がある。


上部には龍が彫られているが、下部は、兎と鯉。

兎というと、「因幡の白兎」を思い出すが、その因幡の宇部神社には伊福部氏の系図が伝わるそうで、兎は伊福部氏のトーテムかもしれない。

社殿は南向きに建ち、舞殿正面には、「伊福部神社」の大きな扁額がかかっていて、向こう正面の蟇股には「蛇腹」のような飾りがつく。

 

「蛇腹」といえば、「フイゴ」を思い出す。

谷川健一著「青銅の神の足跡」によれば、

「イフクのイは発語であり、接頭語である。フクは、フイゴ(吹子)を意味するものであろう。古語で肺のことを「ふくふくし」といっているが、これも人間の肺がフイゴと同じ作用であるところからつけられた名である。現在でも、原料を溶かして銅や鉄の塊をつくることを「銅を吹く」とか、「鉄を吹く」といい、そうした作業場を「吹屋」と呼んでおり、吹屋はまた地名として残っている。であるから弥生時代には銅鐸を作る人たちは、たんに「フク」とか「フキ」と呼ばれていたのであろう。そうした人たちの住んでいる地名がフクまたはフキとされ、それが更に古代の伊福部の名の起こりにもなったと私は思っている」


舞殿から拝殿(?)へ続く参道は、石柵で区切られている。

拝殿の外側にも大きな「鏡」が掲げられていて、やはり、鍛冶・鋳造の氏族なんだなあと思う。


拝殿の内にも「鏡」が掲げられている。


拝殿から渡殿・本殿と続く。

本殿は、流造りで、千木・鰹木はない。


屋根には「桐笹」の紋。


「伊福郷の碑」という石碑も立っていて、文字は風化で読め無かったが、説明版によると、この神社は、伊福部氏の祖先を祀ったものである、という。


境内末社は、津島神社、村上神社、八幡神社と、少し離れて、秋葉神社が祀られている。

 

七宝町の下水の蓋。

七宝焼きに鷺の図柄。


この後、蟹江の冨吉建速神社まで、八幡社などに寄って歩いた。